西尾市女子高生ストーカー殺人事件
事件概要

1999年8月9日午前8時半頃、愛知県西尾市の国道23号バイパス側道で、愛知県立西尾東高校2年 永谷英恵さん(当時16歳)が血を流して倒れていると、近隣の住民から119番通報があった。
永谷さんは胸やなど数箇所を刺されており、西尾市内の病院に搬送され手当を受けたが、出血性ショックで死亡した。

殺害された愛知県立西尾東高校2年 永谷英恵さん(当時16歳)

 

愛知県警西尾署は、事件現場付近にいた西尾市内に住む元同級生の無職 鈴村泰史(当時17歳)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、容疑者の身柄を送検する際に殺人に切り替えた。
鈴村は永谷さんに中学生時代より好意を寄せており、「相手にされなかったから殺してやろうと思い、7月14日頃に吉良町内のコンビニでナイフを2本買った」と供述した。
永谷さんは他の生徒と一緒に登校途中であった。
鈴村は永谷さんに対し、中学1年の時に好意を持ち、中学3年の際に交際を断られてから、性的嫌がらせの手紙を下駄箱に入れたり、跡をつける、嫌がらせの電話をかける等のストーカー行為を行っていた。
永谷さんの友人に厳しく注意されるが、「自分は悪いことが出来る人間」と考え、同じようなストーカー行為を繰り返していた。
事件当日、鈴村は自転車で登校途中の永谷さんを呼び止め、胸や背中をナイフで刺し殺害をし、近くにいた別の女子生徒にもナイフを突きつけ約20分間連れ回した。

 

 

背景

・犯人の人格、事件までの経緯
鈴村は元々内向的な性格であり、学校でも孤立しがちであった。
粗暴な父親の存在等の家庭環境が人格形成に影響を与えた可能性がある。
中学1年の時に同じクラスであった永谷さんに、たまたま親切にされた事から、急激な好意を抱いていたが、当然のように鈴村の一方的な片想いであった。
やがて永谷さんが他の男子生徒と親しげに話しをしている姿を目撃するなどして、裏切られたと勝手に思い込み、永谷さんに対して悪意を抱くようになる。
永谷さんに対して偏執的な愛憎を半ばとする感情を抱く鈴村は、永谷さんと同じ西尾東高校へ進学する。
しかし鈴村は中学同様、人間関係の形成が出来ず早々に高校を中退する。
その後、アルバイトをしていたようだが、基本的には自宅に引きこもりがちの生活を送る。
そして孤立していくなか、鈴村は永谷さんに対する妄想を深めていき、その妄想は偏執的な愛憎から悪意、そして殺意にエスカレートしていく。

 

鈴村は1人の人物に憧れを抱いていた。
その人物は神戸児童連続殺人事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗」である。
自分より年上の凶悪犯罪者に憧れ、鈴村も自身の日記の中で「猛末期頽死 もうまっきたいし」と自称し、永谷さんを拉致しレイプするという妄想を抱き、それを具現化しようとしていく。
そしてその妄想を日記に書き綴っていた。
その日記の内容は原文そのままで、

 

1998年3月21日
NH(日記の中で永谷さんをこう呼んでいる)は見る度に嫌な気になり、目障りだ。
攻撃性を帯びた性欲が暴れたら、NHを殺すかもしれない。

 

3月24日
言葉はあまりにも重すぎる。
俺に越えてはならない一線を越えさせた。
(中略)
そして最後の線を越えた時にはすでにNHは死んでいる。
(中略)
それは俺の中で負のパワーへと変わっていく。
猛末期頽死は確実に成長している。

 

6月18日
僕は未だ犯罪の実行はしていないが心は可成り凶悪でNH傷害を目的として生きている。
(中略)

6/28に酒鬼薔薇が逮捕される。
同じ学年があそこまでやれることに感動し

 

7月17日
テレビでみつびし銀行事件の事をやっていた。
犯人は15才の時に強盗殺人で捕まったことがあり、そして少年院に入りたった1年半で出所している。
強盗をやっといてたった1年半とは。
(中略)
俺がこの先NH傷害などの犯罪を犯したら少年といえど16才以上なので懲役7年はくらうだろう。
逆にいえば俺が中3の時にNHを強姦殺人したとしても3年以内で出てこれたわけだ。
俺はいまNHに対して殺意がある。
(中略)
どうせ今のように殺人欲にかられるのであれば中3のときに殺しておけばよかった。
そうすれば今頃少年院で「あと2年だなぁ。あと2年でNHを殺した事が帳消しになるんだ。NHは死んで全てを奪われたのに俺は後2年で自由の世界」
などと予由ぶってられたのに

 

鈴村は一方で相当に計画的であった。
犯罪慣れしておきたいと考え、まず自転車窃盗を実行しやがては深夜に西尾東高校に忍び込み、窓ガラスを割るという行為に及んでいる。
永谷さんを襲うタイミングを絞り込むため、永谷さん宅付近に張り込み、やがて登校時間が一定である事を把握する。
そして1999年8月9日、この日が西尾東高校の夏休み中の登校日である事を知った鈴村は、この日を犯行日と定めている。

そして事件当日、鈴村が予想していた時間帯に永谷さんは自宅を出た。
鈴村は自転車で登校する永谷さんを、自身も自転車で追いかける。
やがて永谷さんは友人の女子生徒と合流する。
襲撃のタイミングを狙っていた鈴村だが、岡崎バイパスの高架付近で遂に声を掛ける。
停まれとの鈴村の呼びかけに応じなかった永谷さんだが、ナイフを見せられ自転車を停めてしまう。
鈴村はナイフを突き付け永谷さんを連れ去ろうとするが、永谷さんは勇気を振り絞りナイフを振り払う。
ところが鈴村はナイフをもう1本所持しており、そしてそのナイフて永谷さんの左胸を刺した。
そして更に鈴村は永谷さんの背中も刺した。
永谷さんはその場では倒れず、一緒にいた友人がかけ寄り必死の思いで逃がそうとするが10メートルほど歩いたところで力尽きた。
友人がすぐに救急車を呼んだが、まもなく死亡した。
鈴村は永谷さんを刺したあと、通り掛かった女子生徒をナイフで脅し20分程連れ回したが、駆けつけた警察官によって逮捕された。

犯行が行われた国道23号バイパス側道

 

 

 

・公判、判決
2000年5月、鈴村の判決公判が名古屋地裁岡崎支部で行われ、裁判長は「神戸の小学生連続殺人事件の犯人に尊敬の念を抱き、悪いことの出来る強い自分になる為に、落ち度のない被害者を恨み、殺害した責任は大きい」とし、求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。
判決理由について裁判長は、「小学生時代から友人の少なかった加害者は、中学3年の時に神戸の小学生連続殺人事件を知り、すごく悪いことをやってマスコミを騒がせたとして、犯人に尊敬の念を抱いた。犯人をまねて自分の事を「猛末期頽死」と呼ぶようになった。」と述べた。
さらに鈴村は18歳未満であれば死刑にならず、成人より刑が軽くなることを知った上で殺害を計画していると述べた。
裁判長は、「犯人には被害者、家族への思いやりの気持ちが欠けており、自己中心的で刑事責任は重い。」としたが、「このような情感の乏しい人格構成には、母親に暴力を振るう父親、精神的に安定しない母親等の家庭環境の影響も大きい」と述べた。
判決を言い渡した後、裁判長は「刑を受けるにあたり、人とどう生きるべきか考えてほしい」と鈴村を諭した。
永谷さんの両親は鈴村とその両親に対し、約1億円の損害賠償訴訟を提起している。
裁判の結果、鈴村とその両親に約8910万円の賠償を命じる判決を受けている。

 

・犯人のその後
鈴村は出所後の2012年8月、愛知県蒲群市にて通り掛かりの20代の女性に包丁を突き付け怪我をおわせたとして、傷害や銃刀法違反の容疑で逮捕された。
愛知県警蒲郡署の捜査で鈴村は、蒲郡市内で開かれたコンサートに来ていた神奈川県川崎市に住む女性に、「お前、俺の顔を見て笑ったろ」等の言い掛かりをつけ、包丁を突き付けた。
さらに鈴村は女性の腕を掴み地面に倒し、引きずり回し怪我をおわせた。
鈴村は、「日頃の鬱憤がたまってしまい、誰でもいいから人の人生を無茶苦茶にしてやりたかった」と供述している。